伏見は酒造りの歴史が古い町

 伏見の酒造りの起源は弥生時代にまで遡ると言われています。
 脈々と受け継がれてきた酒づくりの伝統が花開いたのは、安土桃山時代のこと。太閤秀吉の伏見城築城とともに伏見は大きく栄え、需要が高まる中で一躍脚光を浴びるようになりました。
 さらに江戸時代には、水陸交通の要衡として、伏見はますます発展。酒造家も急増し、銘醸地の基盤が形成されています。そして明治の後半には、天下の酒どころとして全国にその名とどろかせるようになったのです。まちとともに、人とともに、息づく名酒の歴史がここにあります。
そんな伏見には創業100年を超える酒蔵も含めて20以上の酒蔵が存在します。

江戸時代の水処「伏水」

 一升の酒に、八升の水がいるといわれる酒づくり。中でも良質の豊富な水に恵まれることが、酒造地の条件といえます。
 伏見は、かつて“伏水”とも書かれていたほどに、質の高い伏流水が豊富な地。桃山丘陵をくぐった清冽な水が、水脈となって地下に深く息づき、山麓近くで湧き水となってあらわれます。日本を代表する酒どころとなったのも、この天然の良水に恵まれていたことが大きな要因です。
そのすぐれた地下水の伝説をもつ、御香宮神社
社伝によると千数百年前、境内に香り高い清泉が湧きだし、朝廷から「御香宮」の名を賜ったのがそもそもの起こり。
 そして現代、この名水は「日本名水百選」のひとつにも選ばれ、訪れる人たちに親しまれています。

日本三大酒処の一つ「伏見」

 日本三大酒処は兵庫の「灘」、広島の「西条」、そして京都の「伏見」と言われています。どの土地も良質な水が豊富なことで有名です。

「灘の男酒、伏見の女酒」
 兵庫県は灘の日本酒と対比して「灘の男酒、伏見の女酒」と呼ばれています。
伏見は吟醸酒系の日本酒を作るのに適したお米と水でまろやかな日本酒が多く
灘は香りが高く、コクを強く感じる味わいの日本酒が多いためです。

京都産の酒米「祝」

 京都産酒造好適米「祝(いわい)」は、搗精しやすく、低蛋白質で酒造適性が非常に高い、吟醸酒向きの良質品種です。
 昭和8年京都府立農業試験場丹後分場で「野条穂」 の純系分離によって生まれた「祝」は、昭和8年~21年にかけて奨励品種となり、昭和11年には600ヘクタール以上栽培されていましたが、戦後は食糧増産のため、収量が少ない「祝」は一時作られなくなったのです。
 昭和30年から再び栽培されるようになった「祝」は、良質酒米として伏見の酒造で最も多く使用され、丹波・丹後で多い時には400ヘクタールほど栽培されていましたが、稲の背が高く倒れやすいこと、収量が少ないことなどが原因で昭和49年以降、姿を消してしまいます。
 「祝」が再び姿を現したのは昭和63年、伏見酒造組合の働きかけによって、府立農業総合研究所などで栽培法を改良、試験栽培が始まりました。その後、平成2年には農家での栽培が始まり、平成4年には約20年ぶりに伏見で「祝」の酒が製品化されました。